ワーク

 昔のソーシャルワークの本を読むと、相談に関してはコンサルテーションという英語が使われている。カウンセリングではない。カウンセリングは、どうしてもお悩み相談という感じなのか。
 社会診断(social diagnosis)と言う言葉、医師が病気を見るように、ワーカーが生活状況を診断する。さすがに、悪いところを治すという医療モデルは、古くさい考えとされている。
病気を投薬で治すように、生活を治す薬はない。
 教師が、生徒に接するときは、すべて、ダメなところを見る、教育モデルである。ダメだから、教える。
 教えた通りに、人が生活できれば、ことは解決されるのだが、うまく行く試しはない。教えが正しくても、社会の仕組み(システム)が人間を良くするようには、なっていない。
 テレビを見れば、車と家の宣伝ばかり。日本のマンションは、50年で建て替えることになっている。かつては、家は持つものではなかった。安く借りるもの。持ち家が推奨されたのは、戦後になってから。持ち家が、貧困家庭の尺度になっている。
 駅や、空港に行っても、動物園に行っても、入り口から出口まで、店が軒を並べ、商品がひしめきあっている。学校で、プログラミングを習うためには、機械が、学校に行くためには、制服、体操服、様々な靴が必要となる。学校に行くには、金がかかる。
買うことが、経済を活性化するのだが、過剰生産が、ものの値段を押し下げている。なんか、書いていると、マルクスのような文章になるのだが、社会的な文章を書くためには、沢山の考え方、やり方(スキルズ)を習得しなければならず、学歴は、資格を売ることで、成立するビジネスモデルは多い。
 教師は、上の学校で学べば、問題を解決させる金が、稼げるようになると嘯くが、それは絵に書いた餅のようなもので、投資した(場合によっては、借金)代金の方が、高くつくような仕組みになっている。
 働いても、働いても、動いていくのは、金で、気がつくと、家は、実際には使わないもので、あふれることになる。買ってしまえば、ものは、二足三文でしかない。

 人と人のあり方を変えるのが、ソーシャルワークである。人を動かし、ものを動かすので、ワークという、動詞が使われる。動く人として、働くワーカーがいる。この考えは、難しく言えば、機能主義のソーシャルワーカーの考えといえる。

 一時代の前のワーカーたちは、ないものは造るというが、造ったための維持に、金がかかるという悪い循環を起こしている例は、あまたとある。その極端な例は、原発だろう。
 あるものとあるものを結びつけて、流れを作り出していく。人と人、相互の作用によるネットワーク支援が、今のソーシャルワークのエンジンだろう。