映画のなかのアメリカ

映画のなかのアメリカ (朝日選書)

青山ブックセンター国際政治学者、藤原帰一さんとTBS報道局長 金平茂紀さんのトークショウ、観覧。

ハリウッド製ブロックバスターを対象としつつアメリカ社会のエートスを掬い上げる、という手法は、なんというか醇乎たる政治的読解であるわけだが、一部の映画ファン(はっきり「シネフィル」と呼んでもいいのだが)にとって、これはもっとも忌諱すべきアプローチである。


はてなでは、SomeCameRunningさんのブログにもう少し詳しい言及があります。

このブログ、ときたま読んでいるのですけど、ちょっと分かりにくい所もあります。

日本のシネフィル=映画学愛好者なのでしょうかね。そうは思えませんけど、映画を語ると熱くなる人、三日あけて映画をみないと不機嫌になる人、自分が見ていて、人の見ていない映画自慢をする人がシネフィルなんじゃないですか。

私としては、蓮實的じゃない映画の語り方を追求したいです。

映画はどのように見てもいいし、どんな風に語ってもいい

思わぬ語り口から、あたらしい学問が切り開かれるのでしょう。

こう言っている、私自身が蓮實重彦の本を読みすぎたために、映画を語ると
つい、まねになっしまうのです。

エピゴーネンはダメですね。

藤原さんの論じ方に実は、ネガティブな形でシネフィル的なものが反映されているように感じます。

映画に対する欲望にたいして節度が保たれているというところでしょうか。

知的に映画をみるのは、シネフィルですね。

さて、藤原帰一さんの、お気に入りの監督はジョン・カサヴェテスとジムジャームッシュだそうです。

映画を見始めたのが、アメリカン・ニューシネマ(アメリカのヌーベルヴァーグ)である70代に中学生であった世代として共感を覚えます。


この本が、映画学とマスカルチャー批評による政治学を結びつける一冊になり、多くの人に読まれるといいですね。

また、藤原さんと、蓮実さんと大久保さんと私の映画を巡る言説が同じように並列される空間がウェブです。

言わば、ライオンと猫が同一平面上に同居しているような状態です。

そこで、どんな対話が生じるのか分かりませんがね。

リアル世界で会って、cafeに行って話す方が、ずっと話は早いのに
やはりブログで書いてます。

ここに、未知のマス・コラボレーションのドリーミング*1があります。

*1:人があるものごとに寄せる期待や想像