Golden pavilion

 放火事件についてその動機を考察する内容ではない。犯罪を切っ掛けにして、その動機や背後の心理を語る小説、モデル小説で比較的成功した作品である『金閣寺
について、考える。

甲府放火殺人事件 逮捕少年、家族全員を殺すつもりだった 長女への逆恨み
甲府市で会社員井上盛司さん(55)と妻章恵さん(50)が刃物で刺され失血死した事件で、夫婦の長女と面識があり、住宅に放火した容疑で逮捕された少年(19)が、井上さんの家族全員を殺すつもりだったという趣旨の供述をしていることが21日、捜査関係者への取材で分かった。山梨県警南甲府署捜査本部は、夫婦殺害の容疑で、少年を22日に再逮捕する方針。

捜査関係者によると、少年は「(長女に)一方的に好意を寄せていたが、思い通りにならなかった」「数日前からホームセンターなど複数の店でナイフやオイルを買った」と供述している。(日刊スポーツ 2021年11月22日)

 この事件が恐ろしく凄惨なのは、長女への逆恨みが、一家殺害と放火による家族の消失までに及んでいることだ。少年が、なぜそれほどまでに憎悪を募らせていったのかは、解明することはできない。
恋愛と放火がからんでいたので、三島由紀夫の『金閣寺』を思い出した。恋愛小説ではないが、行為の背後には、恋愛が鍵になっている。ところが、実際の放火のには、まったく恋愛の場面は登場しない。

私が金閣を焼いたことは、私の行いをみると見にくい(醜い)ので、美に対する嫉妬の考えから焼いたのですが、
真の気持ちは表現しにくいのであります。(金閣寺の放火犯の残した供述書)

 この供述書にある、美に対する嫉妬から、放火するというのは、放火の動機として分かりにくい。

 三島は、言葉を操ることにすぐれた小説家であり「金閣寺の美」を粉飾された言葉で何度も描写することで、納得できない動機を辻褄のあうように物語った。
偶然の事件が、物語ることによって必然になったのだ。


だから金閣寺を消滅させることで、その呪縛から解放されて、生きることの肯定という希望に満ちた結末で終わっている。哲学的な言葉(禅の公案等)をいろいろと操作して、一編の虚構を書き上た。

 物語は、美しい金閣と醜い私(吃音に象徴される)が対比され、事件に至るまでの経緯を巧みに展開する。まさに「金閣を焼かなければならぬ」という必然的な出来事として構成されている。

 この供述を素直に読めば「私のおこないは醜い」は、金閣を焼くという行為の醜悪さを言っているだけで。そこに「美に嫉妬する」ような思想を読み解くことは難しい。
金閣を焼かなければならぬ

 病跡学者の内海健氏の著作では、犯人は統合失調症の初期症状にあり、三島由紀夫自閉症スペクトラム症であったと、説いている。謎の解明を症状(精神障害)に起因するとしている。それは、そうだとは思う反面、不満が残る。
 犯罪を行うものや、卓越した文学者がみな、何らかの精神障害をもっていることになり、却って不可解な行為を行ったり、小説という虚構を書く人間がつまらないものになってしまう。

 精神分析や、操作的な精神診断基準に当てはめて、解釈するのは面白い。言葉という凶器で解剖するような面白さだ。
 類型による当てはめは、ときに不当な排除に向かう。精神分析による批評が、かつてのように持て囃されないのは、そんなところにもある。