言語にとって美とは何か

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1) <問いかけ>:著者は問題提起する。「わたしたちが普段、なにげなく使っている“言葉”は、いったい、どういうきっかけがあれば、芸術性を帯びるのでしょうか。あるいは、文芸作品の“言葉”は、いったい、どういうところに芸術性が宿っているのでしょうか。これは相当、手ごわい問いです。(本書3頁)」

2) <解(ほぐ)し答える>:そして、この手ごわい問いをこう解す。「もし、『言語にとって美とはなにか』という本の内容を簡潔に400~500文字程度で要約するとすれば、『言語の価値』は“自己表出”にある。この時、“表出”という概念は“意識”に根拠をおいているので、“表出”は“意識”に還元することもできるし、逆に言語表現生成の力ともいえる。これに対して、文学の価値は“表現”にある。このとき、“表現”という概念は、自己表出(韻律、選択、転換、喩など)と指示表出(構成)との織物によって形成されるので、“表現”は“表出”とは違い、“意識”に還元することはできず、“表出”にしか還元できない』と。(292頁)」

3)<構造的な指南>: 本書は「吉本隆明思想の読み方」に関するとても有難い指南書だ。まず、第一部で、第一に吉本思想の本質論として「初源」を提示する。第二に、吉本が自らの思想を「いわばフレミングの法則みたいなものだ」と述べていることに対応させて、「初源」の枠組みを図示する。X軸に『共同幻想論』の幻想論:「共同幻想」「対幻想」「個人幻想」。Y軸に『言語にとって美とはなにか』の表出論:「自己(内臓)表出」「指示(体壁)表出」。そして、Z軸に『心的現象論序説』の心的疎外論:「原生的疎外」「純粋疎外」。さらに、本書が異彩なのは、三軸それぞれのベクトルを分解図として示している点だ。しかも、複雑な事象を高度に抽象化された用語の定義を納得ゆく図解で示す。
 第一の「初源」と第二の「フレミングの法則」は密接に関連する。「吉本さんの“初源”へのこだわりが、時間と空間がどのように分離するかを見極めるためにあるということです。そこを見極めて生み出された概念が『言語にとって美とはなにか』の自己(内臓)表出、指示(体壁)表出、『共同幻想論』の個人幻想、対幻想、共同幻想、『心的現象論』の原生的疎外、純粋疎外という概念なのです。(45頁)」 この第一部をベースキャンプとすることで、第二部の本論へアタックすることがかなり容易となる。すぐれた構造的な指南だ<<<<父や母の振舞いをおぞましいとみてあばきだす「私」の手つきには温度がない。温いわけでも冷たいわけでもなく、温度そのものが欠けている。養われている叔母や従妹にたいする描写でもおなじだ。叔母が買ってくれたクレヨンにさわった従妹を叱りつけ、従妹がわたしの母が買って上げたものじゃないかと口答えすると、従妹のたべる渦巻きパンにガラスの破片を入れておく。気に入らないことがあるといきなり焼火箸を障子につきたてたりする。そのあげく叔母の家を厄介払いにされ、じぶんでは叔母に母の代理をもとめていた気持をうち砕かれ、捨てられたと思いこむ。こういうことはすべて「私」の記憶として描かれているわけだが、描かれている事実よりも描き方の無表情さ、「私」の言い方をかりれば「感情を生埋めに」している文体が作品の特徴だといった方がいいと思える。

私小説自然主義文学の胎内から生れるについては、その経緯がどんなにいびつであっても、それなりの必然があった。また「私」をめぐる人間関係を描写するかぎり、真実らしさにゆきつくことについて理念に似た確信もあった。その場所で言えば私小説はひとつの文学史的な必然を背負っている。だが車谷長吉が「私小説」というとき、文学史的な私小説とはかかわりがない。独特な「私」がぽつんと孤立して、悪作の描写のうちに成立しているものをさしている。文学史というようなものをこの作家は赦してもいないし、文学史から赦されてもいない。だが主人公の「私」の振舞いは悪にはちがいないが、背徳的でもなければ、人間性にたいするルール違反でもない。また「私」の独特な遇せられ方も、悲惨ではあってもルール違反ではない。わたしのかんがえではこの作者が人間の心の働きの病気や、人間以外の生きものの世界を、ひとりでに人間とおなじ実生活の圏内に包括できているからだとおもえる。ひとりでにというのは語弊で、ほんとはじぶんの狂気の振舞いの悲しさをよく心得ているのかもしれない。

(『鹽壺の匙』 車谷長吉に収録された、「私小説は悪に耐えるか」吉本隆明

また別の日、吉田へ行くと、市川の葭の繁みで捕えて来たばかりの翡翠を見せてくれた。螽欺箱の中のそれは、目の底が慄えるほどに美しい鳥だと思った。翌日、心をときめかせてまた翡翠を見に行くと、空の螽欺箱が中庭に面した縁側に放置されていた。宏之叔父にたずねると、ゆうべ自転車で市川の河原へ行って逃がしてやった、と言った。

恐らくその時の私は「あれ。」と思って、宏之の顔を見たに相違ない。だからこそ虫籠が放置されていた場所が、中庭に面した縁側だったことまで憶えているのだろう。私が宏之叔父に関して記憶していることは、ごく僅かである。併しその記憶の中ではこの場面がもっとも色鮮やかである。その前日はじめて目にした翡翠の美しさに魅せられたということもあるだろうが、併しそれ以上に、折角捕えたその美しいものを宏之が逃がしてやったということに目を見張ったに違いないのだ。それは時には極道と渡り合うこともある吉田の家の静けさとは異質な息づかいが、宏之の中に流れているのを感じたということであったかも知れない。併しそうは言っても、こちらはまだほんの子供である。日常のごく有りふれたことの中で、空の虫籠が記憶に残ったというに過ぎないだろう。

当時、宏之はすでに青年と称んでもいい年齢に達していた。僅かに残された遺品から推し量って、そのころマルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」やドストエフスキー萬葉集森鴎外の文庫本などに読み耽っていたらしい。やはりその時分に読んだと思われる和辻哲郎の「ニイチェ研究」の余白に、今も青インキの色が鮮烈な文字で「俺は自分を軽蔑できない人々の中に隠れて生きている。」と書き残しているが、これは「隠れて。」というニュアンスを除けば、ニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」の中の言葉をほとんどそのまま転写したものだ。併しそれは「隠れて。」という一語が挿入されることによって、宏之の言葉になっている。ツァラトゥストラの言葉は未来への予言として語られているが、宏之は今のこととして言葉を呼吸している。恐らくは無意識のうちに挿入したのだろうが、併しそうであるがゆえに、当時、上べには見えない部分で息をひそめて生きていたらしい生身の宏之の心臓が伝わって来るのである。が、それは今の私に伝わって来るのであって、当時の私は母からもらった化粧品の函の中で飼育していた尺取虫が逃げたと言って、泣き面をしているような少年だった。それだからこそ空の虫籠が印象深く刻印されもしたのだろうが、併しそれは当時の宏之と私とが何か掛け替えのない時間を共有していたというようなことではない。寧ろそれぞれに別の世界に生きていた、と言った方がいいだろう。宏之はたまさか私の世界に現れる隠れ神のようなものではなかったか。  (「鹽壺の匙」 車谷長吉