新潮社考える人

伊丹十三の本

伊丹十三の本


12月27日に草月ホールで、伊丹十三の処女監督作の「ゴムデッポウ」を見た。

上映会の司会は、新潮社の松家さんでした。なんとなく昔の蓮實重彦に物腰が似ていました。

さて伊丹さん自身のこの映画についてのコメントが、考える人に載っています。

好きな男の子への面あてに、他の男の子と寝る女の子。横縞のシャツ。ジーパン。大乱痴気パーティ。刃傷沙汰。カー・クラッシュ。大人なんて判っちゃいないんだ、俺たちのことなんて。
これで若者の姿がとらえられるか、決してとらえられはせぬのです。
映画のような表面的な表現手段で、こんな表面的な風俗を追っていったら、どういうことになるのか。若者たちの心が運行していく、現実の時間構造はどうなるのか。

その後、例えば二人の女の子をめぐる男の子の心の動きを映画で微妙に表現したいという伊丹さんの欲望が語られています。

表現の欲望をそそるような映画の例が、フランソワ・トリュフォーそのものですね。『突然炎のごとく』『恋のエチュード』などに繰り返し表現されたテーマです。

このエッセイ、加山雄三若大将シリーズに言及して、星由里子と浜美枝がでてきて、つねにパターン化されて、加山雄三が、星由里子の方を好きになるのは、困るとまとめています。

1962年、どこの街にも映画館があった時代。映画がテレビの上に格付けされていた時代。
黒沢清がどこかで書いていたように、怪獣映画と2本立てで『マタンゴ』が上映されていた時代。『ゴジラ』と『若大将シリーズ』が小学生を魅了した時代。

家に帰ると、浜美枝がtvに出ていました。
40歳を境に女優を引退して、環境・農・食問題について研究するライフコーディネーターに転身したとのことでした。古民家の保存とエコロジカルな生活が番組のテーマでした。

どこで、自分の人生を転換するかそれは、大切なことですね。