奇人怪人偏愛記
かつて、筆者がR高校で教壇に立っていたころのお話。
モナーという名の生徒が、HRの後で
「ねえ、先生って、変人なの?」と質問してきたことがありました。
もちろん
「うん。そうだよ。よくわかったね。モナーちゃんてすごいね。」
と返答したことがあります。
毎日の生活を豊かにするのは、こういったバカバカしいやりとりです。
モナーは、そのとき300名いる生徒の中で成績が後ろから数えて、2番目の女子でした。
答える私も、私です。
もともと教育をうける(=おりこうになる)ということは、個性を滅し、たとえ一番の成績であってもある集団の先頭という、全体の一部になることを教え込む、という面が強くあるのではないか。個性重視の教育などというものは二律背反の言葉に過ぎない、のではないか。真に個性的な人間はおおかたはバカなものであり、バカであること、想定されたパターンにハマらぬことこそが、個性的な存在であることの条件なのである。
唐沢俊一 まえがきより 引用
そこで、お勧めなのが、この本。
目次を掲載します。あまり出来の良いエッセイとはいえないけど
>
と学会やトリビアの泉のスーババーイザーとしても知られる唐沢俊一さんの本。
よくまあ、こんなツマラナイことをこの叔父さんは知ってるんだと舌を巻きます。
読んでいて、肩の凝らない本です。
「今日は奇人だと思われていた人間が、明日は世界を動かすようになる」
というのは、単なる私の妄想でしょうか。
こんなこと考えている私は、唯一神又吉イエス以上の、怪人かもしれません。
ここまで、この文章を読んだあなたなら
多少、私が奇妙なことをこのブログに書いても、もう驚くことはないでしょう。
エデット・ピアフは「愛の讃歌」のなかで
愛のためなら、国を裏切ったってかまわない。
と歌っています。
「この愛」は、もちろん愛する人のためです。
このブログの筆者が偏愛してやまないのは、奇人や怪人さんたちです。
その点で唐沢さんと趣向が一致するのです。
最近では、藤田嗣治や山田風太郎*1が、私の愛する快人たちです。
そして、そういった人たちを愛する人々を私は愛しています。