アニメを殺したのはオタクか?

サイゾー 2006年 11月号 [雑誌]
正確なタイトルは「アニメを殺したのはジブリか?オタクか?エヴァンゲリオンか?」このタイトルの意味するものはよくわかりません。

ジブリ鈴木敏夫プロデューサーは雑誌のインタビュアーに、机を叩いて激怒します。

ネット上のゲド戦記パッシングを完全に無視する鈴木P。ジブリの宮崎王国の世襲制についても、アレンの父殺しのストーリーに、宮崎駿さんと吾朗さんの関係をダブらせるベタな見方に、異様に腹を立てます。「父さえいなかったら、生きられると思った。」このコピーが二人の関係を連想させるために、新聞広告では一切使用しなかったそうです。
父殺しのテーマは、オイデプス王を初めとして、普遍的なテーマというけれどオイデプスは自分の意志とは別に、つまり無意識のうちに父殺しを実行して、母親を妻にするようになるのです。そこに神との相剋が描かれて、人間の無意識の部分を探求したフロイトも着目したわけです。

ドラッグや父殺しといった、現代の抱える病理を洞察するような内容は、このアニメには一つもありません。しかし、音楽やビジュアル面ではなかなかのものがある。

鈴木Pは宮崎吾朗監督に、朔太郎の詩集を渡したり、映画に父殺しのシーンを入れることを提案したり、ものを売ることに関してはすごい直感を持っているみたいです。


しかし、ジブリプランドを巨大ビジネスにしてしまったため、いい作品や悪い作品を見抜く目を失ってしまった。大ヒット続映中の広告を新聞にガンガンのせて、みんなが、見るからつられてみるだけですよ。そこそこの作品にすぎません。

「アニメを大切にしない奴なんて、大嫌いだ!」といくらでも、言い換えができてしまう。それぐらいにこの作品は、パターン化されているのにねぇ。

カンヌ映画祭で、受けるのは、お話が単純で分かりやすいから、それについては、別に文句はありません。自分の目になじんだ西洋の風景の中で展開される、善と悪の闘争がヨーロッパの人には好意的に見えたのでしょうけど、しかし、私らは日本人、こんなもんで商売されたら困りますよ。

視聴率という虚栄のために、身勝手な手法を乱用する「番組制作」、ビジュアル偏重で、軽薄なアナウンサーを生む「女子アナ採用試験」、視聴者よりも、”スタッフ受け”を繰り返す「コメンテーター」、記者クラブにすりより、ジャーナリズムを放棄した「テレビ報道」……。そんなメディアの王様が繰り返す、ケーサツも見て見ぬふりの7つの罪を天にかわって暴きます!