2006年が暮れていく

PLUTO 浦沢直樹


天馬博士の人相がひどく悪い。

個人的な思い出で恐縮ですけれども、幼稚園のとき『鉄腕アトム』の登場人物で一番のお気に入りは、なんといってもアトムの生みの親、悲劇のマッド・サイエンティストの天馬博士でした。

あの身長測定機でアトムを叩くコマにしびれました。たぶん虐待されるアトムの方に同一化していたのでしょうが。誕生秘話が、物語に陰影を与えていたのです。

幼年時の憧れの存在ですね。天馬博士。

漫画をもう一度、読み出すようになったのは、今年、2006年からでした。

伊藤剛さんの『テヅカ・イズ・デッド』のキャラ・キャラクター論が面白かったので。

浦沢さんの漫画は、キャラではなくて、キャラクター*1を描こうとする。
こちらがわとしては、手塚さんがつくったキャラに対するこだわりがあります。
といっても、漫画は気楽によめるので、やっぱり買ってしまうのですが…。

サントリー学芸賞問題

さて前述の『テヅカ・イズ・デッド』ですが、蓮實さんの映画批評と比較されることが多いですね。2005年の暮れごろ
初めて読んだときは
蓮實重彦さんの『シネマの記憶装置』『シネマの煽動装置』『映画の神話学』を読んだときと同じような、興奮を覚えましたね。

なんか、インテリ*2が漫画を語るみたいなことは、軽蔑していたのですが、自分の錆び付いた頭を活性化するのにはいいかもしれませんね。

竹内一郎手塚治虫=ストーリーマンガの起源』(講談社選書メチエ)が、なんとサントリー学芸賞を受賞してしまったという驚愕の事態を知りました。

この事に対する、ブログを使っての、批判というのはすごく意義が深かったように思います。
ハナログさんのサイトを読んでいると、文章もきちんとしていて落ち着きますね。映画的教養ってカイエ派のことだけど。

14歳ぐらいからは、自然と漫画から離れてしまったわけですけど、それは映画とであったというか、映画館に足を運ぶようになったことが大きいですよね。

やはり、

それで、蓮實を読みながら、また映画を見ながら徹底的に自己教育をしていったわけです。とにかく断層の世代あるいは、前新人類でも昭和30年生れでも呼び方はどうでもいいけれど、68年に13歳だった人たちは、テレビでスチューデントパワーを見ながら、ああいうやり方だと、世界は変革できないと学習して、もっと文化的な革命をしていこうとか、普通の社会人になって地道なところで変えていこうと思ったけど、反動の50年を生きることになった。

逆行した50年と教育基本法の改正

どんどん世界は解放されて、制服はなくなって、受験もなくなって、だれでも学べたいことが学べて、国家もなくなってしまうよう(1968年当時)に思っていたこともあったけど、もう都立高校に就職したときには、校内暴力が吹き荒れていてそんなことは、ありえないという雰囲気でしたね。

80年ぐらいには公立高校でも制服を復活がさせるような動きが始まっていて、後はいろいろと獲得していった教員の権利が一つ一つ失われていく、そのあげくのはてに12月22日の教育基本法の改正になったわけです。

そう、映画の話でした。映画はテレビが登場して、衰退してもう、なくなってしまうじゃないか50年代からヌーヴェル・ヴァーグが出て、アメリカン・ニュー・シネマになって、まさにその時から映画をみ始める。

どんどん撮影所がダメになって、とうとう今じゃ、大学に映画制作学科ができているみたいだけど、面白い映画がちょっとは、つくられるようになった。

クリント・イーストウッドみたいなアメリカの映画監督が、日本映画を撮ることだって、できるんだ。あるいは、単なるステレオタイプの日本人から、そこに多少の美化はあっても血の通った人間として、日本人がハリウッド映画に登場するようになったという変化は、大きいと思います。

そこから、いろいろな可能性が見えてくる。映画は延命したというのは、楽観的ですけど、YOU Tube みたいなものでも、映像と映画が共存していくことも可能かとも思っているわけです。

もう流し放しのメディアみたいなものは、ぜんぜん面白くないと思いますよ。

連体とか、associationとかいい方は、どうでもいいから、もっと一人一人の人間が暮らしやすい世界をつくっていく方法はいろいろあると思いますよ。
チャンネルをたくさん持つということはいい。

漫画をかきたい、あるいは面白い漫画を読みたいという人がいるかぎり、漫画も延命するように思います。

*1:浦沢キャラといってもいいですが、作品と切り離せない

*2:腰の重いインテリとか、見かけは賢そうに振る舞っているなどと、いいニュアンスはない自嘲的な意味で使用してます