平塚美術館

河野通勢(こうのみちせい1895?1950)は、大正期から昭和戦前期にかけて活躍した画家です。高橋由一に学んだといわれる美術教師・写真師であった父河野次郎のもと で絵画を学び、早熟にして天賦の才能をみせます。デューラーなどに影響をうけた細密で存在感あふれる徹底した写実描写で知られる作風は近代美術のなかにあって異彩を放つものです。二科会への出品から、白樺派への接近そして岸田劉生の率いる草土社へ参加、劉生死後は大衆小説の挿絵を精力的に制作し、近代の画家として小説挿絵の草分け的な存在でもありました。
 通勢の絵画は、「何でも描けた」と中川一政に言わしめた天才的な描写力とハリストス正教会の信者としての強い宗教的な内面性をもちつつ、独特の空想的な物語を包含するものです。それは、画集などをもとにした独学ゆえの特異なものでしたが、神的なものへの憧憬ともみえる精神性は、大正期の時代精神とも通底する生命主義を感じさせます。
 近年になって、関係者のもとに大量の未発表作品が発見されました。とくに十代から二十代にかけて執拗に描いた裾花川周辺を題材にした初期風景画、そして聖書・神話を題材にした作品群は圧巻です。また『項羽と劉邦』『井原西鶴』などの挿絵原画は、高い密度と完成度があります。さらに、銅版画についても関東大震災に取材した一連の作品は大変貴重なものです。その他にも、日記、覚え書き、スケッチ帖、書簡類などの膨大な資料が新たに見つかりました。それらはより如実に作家の目指していたものを示しており、制作の秘密を明らかにしうるものであり、いままでにない河野通勢の画家像を発見することができると思われます。

長野でただ一人、デューラーレンブラントをひたすら模写し、独学で驚異のデッサン力を身につけた。濃密な気配が漂う、徹底した細密描写の世界。岸田劉生は驚嘆の眼差しを向けた。なぜ、自分と同じ世界を描ける人間がこの世にいるのか、と。一方、夭折の天才画家、関根正二は、河野と出会うことで芸術的指針を与えられる。魔術的な物語世界だ。衝撃の出会いから3年後、関根は美術史に残る傑作「信仰の悲しみ」を生み出す。同時代の画家たちに衝撃を与えた河野通勢。しかしなぜ、そのまれに見る才能は20歳前後のわずか3年ほどに限られていたのか?

 河野通勢の描いた、風景画はスピリチュアリティ(霊性)があふれている。