歌田明弘のネット論
歌田さんのブログを発見。いろいろな考察として、参照できる箇所をクリップします。
HPは公共の意見
ウェブ・ページの作成者は、作った時点で他人に見てもらいたい意思があったわけで、それを助ける働きをする検索エンジンに、暗黙の許可を与えたことにな ると、検索エンジン側は解釈している。ライブラリ・プロジェクトをめぐる裁判では、本についてもそうしたことが言えるかどうかというのが争点のひとつにな るだろう。
戦後民主主義の終わり
朝日新聞は、戦後長きにわたって日本のマスコミを代表し、戦後民主主義的な価値観を擁護してきた。そのこと に対する感情的な反発がネットではとくに強い。朝日新聞の記者が所属を名乗って実名でブログを書いたりするのは、たしかにそうとう勇気がいることだろう。
とはいえ、朝日新聞の論調を支持する人が、まったくの少数派というはずはない。ネット人口がこれだけ増えたいま、朝日新聞派はネットでも相当いるはずだ。にもかかわらず、炎上する確率が高いのは、やはり朝日新聞的な論調のブログやサイトだ。
営業マンの仕事術
IT関係のビジネスマンなどには、名刺を交換したあとで、かならずメールを出すという人がいる。
「今日は○○でお会いできて幸いでした」などと書いてメールを送れば、関係を深められるということもあるが、メール・アドレスの整理がてらという人もいるらしい。
名刺の整理をことさらしなくても、メールをやりとりしておけば、メール・ソフトにアドレスが残り、検索できる。
また、送信済みのメールを開けば、いつどこで会ったどういう人かも思い出せる。
メールを受け取った相手のパソコンにも自分のアドレスが残るので、検索するだけで連絡先を見つけてもらえる。
相手との関係作りとアドレスの整理、さらにその人の記憶情報を残すことができ、そのうえ相手のパソコンにアドレスが届くという一挙何得にもなる妙手、というわけだ。営業マンなどにとっては、基本的な仕事術にもなってきているようだ。
ずけずけと物を言うことを回避する風土
ずけずけと面と向かって物を言うことを回避する風土もまた、匿名を選ばせているにちがいない。
もちろん、いいとか悪いとかいったことはまた別の問題だ。
ただ、こうしたことは、いまさかんに議論されているいじめの問題ともどこかで関係しているのではないか。少なくともそうした風土に生きている、ということはもっと考えてみるべきことかもしれない。
仲間から浮くのを嫌う
学生でも、日本の場合は、浮いてしまうことを恐れる傾向はきわめて強い。そうであれば、実名で書くなど、波風のタネになるかもしれない要因はできるだけ減らしておこう、と思いがちだ。
制度的・心理的両方の意味で流動性が高い国柄かどうかといったことや、身近の共同体とどういう関わり方をしているかが、実名を好むか匿名を好むかを決める要因になっている、ということはきわめてありそうに思われる。
日本人は自己表現好き
日本人は、面と向かって話すのは得意とはいえないが、一定の距離を置いた形でやりとりすることを好むのだろう。以前も紹介した調査結果だが、日本 のサイトは、氏名や性別、住所、電話番号、既婚・未婚などの客観的情報の開示度が低い一方で、主観的な心情や趣味については開示を好む傾向があるという。 自己顕示や自己主張は好きではないが、自己表現には積極的というわけだ。
オタクとウェブ
「日本が戦争に敗北して国家として不完全な形で暫定的に運営されているということは、小中学校では何も教えられない。そして成人したとしても真剣に 考えもしない。しかし、その不自然さに誰もが居心地の悪さを感じている」。アメリカによって押しつけられた体制を、ときに居心地悪く感じながらもまともに 考えようとしない、ふぬけた日本人。しかし、アニメやマンガには、戦後日本の抑圧された感情が表現されていると、具体的な作品や描写をあげて説明してみせた。