virtual reality

 もう小林秀雄を誰も読むことは、ないだろう。詩も小説も戯曲のパーフォーマティブな役割は、終わっている。#でつながれた、表現(言説=情報)だけが、ネットを駆け回る。
 落合陽一がいみじくも”自分の知覚の外の世界が、計算によって作られた装置によって体で感じられるなら、言葉という媒介も、批評もいらない。”言ってた。
 「virtual reality」の日本語訳の 「仮想現実」に「既存の現実世界とは異なるが、人間にとっては、現実世界と同様に知覚可能で、実質的には現実世界と変わりがないもの」の意味はない。言葉はほんとの意味をつたえない。
デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂