School paternalism 指導文化

 パターナリズムが通じない、現代の学校事情
育て上げネットの井村さんから、高校を中退した若者の話を聞いた。彼らは、一様に「学校が厳しすぎる」ことを中退の理由とする。
 しかし、以前の高校と比較して、今の高校が「厳しすぎる」ということはない。では、彼らは、どうして、そう言うのだろうか?
 現代の高校は、校則も緩いし、テストの点数が低いことによって、落第することもない。赤点をとれば、再テストや課題が与えられる。ひとまず、課題をやれば、合格点はとれる。
 その課題に、教科書を10ページぐらい書き写すというものがある。
 専門高校(工業・商業・農業)では、実習や提出物が多い。これは、難しいというより、やっていれば合格する授業である。

 進級の規定として、単位の修得には、授業の3分の2以上の出席と、所定の成績を修めることが定められている。
 修得という言葉が示すように、内容をよく理解しているとか、実習ですぐれた成果を上げるかということではなく、教えられたことを指示に従ってやること、つまり業がもとめられるのである。
 だから学業(学問を修める業。学校での勉強の意)という言葉もある。
 あたりまえではあるが、学校で進級、卒業するためには、教員の指導に従わなければならないのである。
 教科指導に生活指導、進路指導など、この指導文化が禍になり、教員の多忙化を招いているという意見もある。
 この学校の指導文化に馴染めない生徒は、中退を選択することになる。
 問題行動により、退学を余儀なくされるのではなく、主体は生徒側にあり、退学を意思決定する。
 ただ一度、退学してしまうと、多くの学校では、欠員による生徒募集がないので、編入学できるのは、退学者の多い学校という悪いサイクルに陥ることになる。

 また、日本の学校は、どんな学校にだって指導文化はある。逆に言えば、指導文化のない学校はない。
 ただし、指導の仕方は、学校により裁量が与えられているので、その指導を厳しく感じるかどうかは、生徒の判断によっている。
 指導文化は、一概に「悪い」とは言い難い。その学校の文化に馴染めない生徒が多いかどうかに、退学者を多く出す一因は、求められるのである。