おとなたちのズル

いじめで岐阜の校長の説明が3転、校長は、保身に終始する。最初は「いじめ」を認めたのに「両親から誘導尋問されてつい認めてしまった。」と記者会見で釈明。別のいじめの実体は、知っていた。これはひどい自死をした女子の冥福をお祈りします。

佐々木校長は、「27日に遺族宅を訪問した際に撮影されたビデオを見た。その中で『いじめがあった』と表現した」とし、「広い部分でのいじめがあったということ。言葉足らずだったが、悪口も含めると、いじめがあったと思う」と説明した。 「言葉によるいじめやからかいはあったのか」という質問には、「言葉によるいじめやからかいはあった。ただ、自殺に結びつけるかどうかの判断は難しい。推測の域を出ないため確認が難しく、最終的には結びつけられないだろう。ただ、いじめと自殺の関係をうやむやにしようとは思っていない」と述べた。

このニュースを見ていたら無性に腹が立ってきました。
学校の責任は追求されるべきです。けっして、この少女の個人の性格に原因を帰着させないで、だれもがいじめの犠牲者になる雰囲気が学校にあったとみるべきです。

自殺をした日は女子生徒の誕生日だった。両親は「学校側の説明は信用できない。同じように自殺する子が出ないように、事実をはっきりさせてほしい」と話す。

 学校側も女子生徒が「うざい」などと言われたことは認めたものの、校長は同日夜、「死に至らしめるいじめだったのかはっきりしない。今後調べる」と説明した。

状況によって、釈明が揺れてしまうのは、よくあることですね。信頼も揺らぎます。