日本の高等教育はダメか。
そりゃ、昔からダメなのは、日本では衆知のこと。
これは、ダメに傾斜することで、自分たちを慰めるネタなのでしょうか。
これからのこの教育話の展開が楽しみです。
ただ、なぜ世界の人々がそう思うようになったか、というのは、教育そのものの話とは別になかなか興味深いところだ。だって、終戦直後ならいざ知らず、いまの日本の学生のできがどの程度のものかなんて、旅行で目にしてみればわかる。-中略-すばらしく優秀な労働者を量産する伝説の日本高等教育といったイメージも説得力があったのかもしれないのだけれど。
適当に、自分の考えをまとめてみますね。
優秀な労働者を作った教育
かつて優秀な労働者を量産してきたのは、企業が行なってきた社員教育です。それは実務経験を通して形成されたものだと思います。
で、現在大企業が年功序列制の崩壊や能力主義の導入によって、社員教育を行なうことができなくなった、反面、大学では、いまだに実務的な教育より単なる理論やよくてシュミレーション(模擬的な体験学習)などに留まっているということが、高等教育を停滞させる一要因になっているのではないでしょうか。
高度経済成長期の、一斉型、知識伝達型の中等教育*1は、与えられた仕事をこなす労働者を生産することに有効であったと思います。
停滞した高等教育
大学、特に私立大学の少子化による経営難から、入学者の窓口を広げたことによる大学生の学力低下は、大学教育の内容の転換*2
3 一流大学の学生が就職に有利になるという、反動的な現象により、高等教育以前の段階での有名私立中高一貫校のブームの助長*3
などということもありますね。
制度の改革だけではない大学改革
やはり、高校での修得単位偽装事件をきっかけにして、現在のセンター受験のやり方、高校卒業資格の認定を変えることによって、大学に入って実際的な学力*4をのばすようなものに転換する、つまり高等教育の質を向上が課題なのでは、ないでしょうか。
新しい大学教育の神話づくり
何も神話であることをあばく、必要はないですね。こんな問題があるんですと話していけば、向こうにも役立つヒントになるかもしれません。
新しい神話をつくることです。