わたしいまめまいしたわ

Self and Others(セルフ・アンド・アザーズ): 牛腸茂雄写真集

わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者
ゲオルク・バゼリッツ、《自画像?》、1996年 東京国立近代美術館蔵 Georg Baselitz, 2007

わたしはひとりではない


アイデンティティの根拠

 「わたし」が「わたし」であることの確実さ、つまりわたしのアイデンティティ(自己同一性)は、いかにして確保されるのでしょう。このセクションでは、文字や記号を用いて、自己同一性の根拠を探る作品に始まり、複数の対象間に「同一性」を感じ取ること、複数の対象間に「差異」を見出すこと、そういった認識のメカニズムを解き明かすような作品(河原温高松次郎、村上友晴、岡崎乾二郎、宮島達男)をご紹介します。

高松次郎、《木の単体》、1971年、
東京国立近代美術館
暗い部屋(カメラ・オブスクーラ)と「わたし」

 暗い部屋に一点のピンホールを穿つことで外界の倒立像が壁面に投影されるカメラ・オブスクーラ(「暗い部屋」の意)の原理と、その延長線上に成立した写真という装置。これらは世界と「わたし」との間に距離を作り出し、世界を離れたところから見つめ、思考する「自己」を切り出します。「暗い部屋」とは、「わたし」の内面に通ずる秘

めやかな空間なのです。ここでは、アパートの自室それ自体を「カメラ・オブスクーラ」とすることで外の世界の写真を撮影した伝説の作品、山中信夫の《ピンホール・ルーム》を紹介します。
山中信夫、 《ピンホール・ルーム 1》、 1973年、東京国立近代美術館

1973年、東京国立近代美術館
揺らぐ身体
草間彌生、《天上よりの啓示》、 1989年、東京国立近代美術館蔵 

 通常わたしたちは、視るという行為を、絶対的かつ知的な行為と考えることで、日々を送っています。しかしその前提は、ちょっとしたことで打ち崩されてしまいます。ここでは、草間彌生、ブリジット・ライリー、日高理恵子、金明淑(キム ミョンスク)の大きな絵画が4点、展示されます。それらは一見シンプルな作品ですが、前にすると、くらくらして、「視る」という行為が本来どれだけ身体的であるか、実感されるのです。

スフィンクスの問いかけ

 「朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か」というスフィンクスの謎かけはあまりにも有名です。ここでは、絵画(フランシス・ベーコン)と彫刻(舟越桂)で表されたスフィンクスによって、その問いかけの意味を、考えていただきます。謎かけの答えは、オイディプスによって「人間」と明らかになったわけですが、しかしその英雄自身は、スフィンクスと出会う前に父を殺し、後には母と交わった悲劇の人物(男性)でもあったことを忘れてはなりません。
舟越桂、《森に浮くスフィンクス》、2006年、個人蔵(広島市現代美術館寄託) 撮影:内田芳孝 写真提供:西村画廊

冥界との対話

 「わたし」の生成にとって、人間に組み込まれた不可避の「死」というプログラムは決定的な役割を果たします。しかし、その「死」は直視することを躊躇させるような深い闇としてあるために、社会は、「死」を「生」の充実に転化する装置として「物語」や「宗教」を必要としてきたのでしょう。死は、個人の生を際立たせると同時に、それを個人というレベルを越えた集合的な記憶や感情と結びつけるのです。ここではビル・ヴィオラのヴィデオ・インスタレーション《追憶の五重奏》や、須田一政の写真「風姿花伝」(シリーズ、出品は一部)が展示されます。
ビル・ヴィオラ、《追憶の五重奏》、2000年、東京国立近代美術館
SELF AND OTHERS

 1983年に36歳で早世した写真家、牛腸茂雄の残した連作《SELF AND OTHERS》全60点をまとめて展示します。写された人々の多くは、こちらをまっすぐに見つめています。そのまなざしの集合体にとらえられたとき、わたしたちは「他者」との距離に思いを巡らさずにはいられないでしょう。
牛腸茂雄、 《「SELF AND OTHERS」より》、 1977年、東京国立近代美術館

1977年、東京国立近代美術館
「社会と向き合うわたし」を見つめるわたし

 自画像から始まったこの展覧会は、再び作者自身の姿を表した作品群で終わります。しかしこのセクションで展示される作品は、いずれもただの自画像ではありません。他者と向き合い、関わろうとする自分の姿を、もうひとりの自分が冷静に見つめ、対象化し、ときにユーモアを交えて表しているかのようです。
高嶺格 God Bless America 2002 ヴィデオ・インスタレーション(8分18秒) God Bless America video installation(8 minutes 18 seconds) T
郭徳俊 フォードと郭
キムスージャ、《針の女 メキシコ・シティ、カイロ、ラゴス、ロンドン》、
2000-01年、東京国立近代美術館
B4の大きなカタログは、服部一成氏によるもの!

「わたしいまめまいしたわ 現代美術にみる自己と他者」展のカタログのデザインは、チラシやポスターと同じく服部一成(はっとりかずなり)氏によるものです。
服部氏の仕事は多岐にわたります。「キユーピーハーフ」(1997-)、「キリン淡麗グリーンラベル」(2002-05)、「オンワード 組曲」(2000-01)などの広告キャンペーン

アートディレクション。『流行通信』誌リニューアル(2002-04)のアートディレクションとロゴデザイン。そのほか、パッケージデザイン、ブックデザイン、CDジャケット

デザインなどなど。
美術展では、森美術館の「ビル・ヴィオラ展」(2006)や川村記念美術館の「ハンス・アルプ展」(2005)や横浜美術館中平卓馬展」(2003)などのグラフィックデザインが知られており、当館でも「ドイツ写真の現在 ― かわりゆく「現実」と向かいあうために」展(2005)を手がけていただきました。
今回は、出品作品が多数あることなどから全点掲載とはなっていませんが、B4という大きな版型をいかして、図版が迫力あるものとなっていたり、作品同士を対比しやすくなっていたりするだけでなく、服部氏ならではのグラフィックがページが表1・表4以外にも施されていて、見ごたえのあるカタログとなっています。

版型・頁数 B4版 縦36.4×横25.7cm/52p(表1〜表4を含む)

目次
pp.6-13 わたしはひとりではない (蔵屋美香
pp.14-19 アイデンティティの根拠 (三輪健仁)
pp.20-21 暗い部屋(カメラ・オブスクーラ)と「わたし」 (鈴木勝雄)
pp.22-25 揺らぐ身体 (保坂健二朗)
pp.27-29 スフィンクスの問いかけ (保坂健二朗)
pp.30-33 冥界との対話 (鈴木勝雄)
pp.34-39 SELF AND OTHERS (蔵屋美香
pp.40-45 「社会と向き合うわたし」を見つめるわたし (大谷省吾
pp.46-47 作品リスト

定価 本体1200円(税込)

ビル・ヴィオラのヴィデオ・インスタレーション《追憶の五重奏》


 

「他者」とのコミュニケーションのあり方や、わたしたちをとりまく現実を認識するあり方の変化にも目を向けてみましょう。 価値観が多様化し、それがインターネットなどの高度情報技術によって増幅されることで、「わたし」と「他者」との関係は幾重にも複雑なものとなり、そのために「わたし」という存在は、定めがたいものになってきたのかもしれません。
 しかし、このような混沌とした状況は、わたしたちが改めて「わたし」のあり方を考え直すチャンスでもあります。そのためには、ものを見ること、認識すること、そこから紡ぎあげた思考を他者に伝えること、そういったひとつひとつの行為を、繰り返し吟味する作業が不可欠です。そして、これらはまさに今日の美術における重要なテーマとして、多くのアーティストによって探究されてきました。

キムスージャのビデオ作品