<ニッポン密着>茨城に移された東京の生活保護者 頼る介護、幸せどこに
2008年12月14日(日)13:00
 東京都内の自治体から生活保護費を受けながら、都外の有料老人ホームや高齢者専用賃貸住宅(高専賃)などで生活している要介護・支援の高齢者がいる。その数は約500人とされ、大半は都内で行き場がない人たちだ。そのうちの一人で、茨城県に住む男性を知った。

 「到着して初めて、茨城に来たって知ったんだよ。いきさつは分からないんだ」。小野茂さん(仮名)は首をかしげた。60代。要介護度2。都内の入院先から06年秋、県内の有料老人ホームに入り、数カ月後、現在の介護施設に移った。

 小野さんは、旧帝大法学部の出身で大学での講師や不動産会社で教育係などを務めたという経歴を「今はこんなになってしまったが」と前置きしながらも誇らしげに語った。連絡を取っていない2人の子供や親類のこと、離婚、内妻との死別のことも。施設職員は「言っていることは、どこまで本当か分からないですよ」と教えてくれた。

 手元には1枚の家族写真すらなく、過去を振り返るものはない。亡き妻の衣類などもタンスごとすべて入居前に処分したという。「必要ないですから」と繰り返していた彼が、小さく折り畳んだ1枚の書類だけは大切にしていた。1回目に生活保護費を受け取る際、区役所から渡された「保護決定通知書」だった。

 「いくら自分に支払われているか証明できるものはこれしかない。心配だから時々、役所に電話するがね」。確かなのは、小野さん名義の通帳には月々10万円が振り込まれ、入居費用を抜いて8000円の小遣いが手渡されていることだ。

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 茨城県土浦市のホテルで07年5月、介護事業会社「いっしん」(茨城県かすみがうら市)が新社屋完成の記念式典を開いた。出席者によると、数十人の女性介護スタッフが色とりどりの振り袖姿で来賓を出迎えた。手土産は高級ブランド・ティファニーのペアグラス。「にぎやかだった。主賓は東京都の自治体関係者だった」。ある介護施設経営者は、いっしんと東京都の自治体との関係を実感したという。

 この経営者の施設に、いっしんから生活保護者が移って来た際、区役所から「支度金」を受け取った。「いっしんさんの紹介ですから(特別に)内緒ですよ」。区役所の担当者から、いっしんが以前に提出した請求書を「ひな型」として渡され、入所金、家賃、布団代、家具・什器(じゅうき)代を請求するよう勧められた。受け取った金額は約20万円。実態のない請求もあり「こういう仕組みがあるのか」と驚いた。

 別の区の担当者は「施設も病院も受け入れてくれない生活保護者を守る必要がある」と受け入れ先確保の重要性を強調する。それに応えて業績を伸ばしたのがいっしんだった。茨城を中心に展開する計17施設の入居者の7割以上を都内からの生活保護者が占めている。毎日新聞が報じた高専賃への入居者あっせん問題の背景もここにある。

 「東京に生活保護者を受け入れる施設がありますか。ほぼないですよ。将来的には終末のみとりまでできる施設まで見据えたい」

 そう語っていた川島正行社長の言葉通り、茨城町にある共同墓地の一角に「いっしん」と記された墓がある。いっしんの施設で亡くなった後、引き取り手のなかった8人が一緒に眠っているという。

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 小野さんが茨城に来て最初にいたのがいっしんの有料老人ホームだった。「私にはよくしてくれた」と言う。現在も3食ベッド付き。「今の待遇に何も言える立場ではないが、いつまでここにいられるか分からない。ここ(頭)がはっきりとしなくなったら、生きた証しとして2人の子供に知らせてほしい。そうじゃないと(死んだ時)無縁仏になっちゃう」

 大きめの音量に設定された施設のテレビで流れていた「水戸黄門」の再放送が終わり、入居者らが個室に引き揚げた大広間で、少し大げさに笑って見せた小野さんを夕日が包む。

 行政と業者がつくった仕組みのはざまにあって、終(つい)のすみかを意識しながら息を潜めるように暮らす小野さんに「幸せですか」と尋ねた。

 「苦痛だ。楽しみはない。その質問が一番つらい。幸せという結論は出せないし、不幸せとも言えない」

 返ってきた激しい言葉は、自分自身にも向けられているようにみえた。【立上修、山本将克】

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