浪江

浪江のことを考えていたら、朝早いうちに目が覚めた。
人生について、考えるとき、その人のヒストリーとストーリーか、どちらをとるかが、大切だ。
ヒストリーは、履歴書に書かれているような、時系列に人生の出来事を並べたもの。ストーリーは、出来事について、たとえば離婚について、その人がどう思い、受け止めたのかを考えることである。
浪江は、正式な結婚をせずに、娘を産んだので、厳密に言えば、離婚したわけではないのだが、夫が女をつくって、浪江の金を持ち逃げしてしまったとき、いままでにないような、落胆と男にたいする憎しみを味わった。
千葉の栄にいる理由もなかったので、東京で仕事のある場所を探すことにした。そこで浪江の頭に浮かんだのは、田園調布だった。
田園調布に行けば、大金持ちが住んでいて、家政婦の仕事ぐらいすぐに見つかるように思った。現実は、そう甘くはない。
アパートを借りようにも、家賃が高くて、とうてい住むことができない。それで、東京はあきらめて、川崎に住むことにした。大阪にいた当時から、金が底をつきると、生活保護を申請する知識はあった。なれた、ホステスの仕事はやっと見つかったが、もう若くはなかった。
娘の就学の手続きをするために、川崎区の役所に行ったときに、子供家庭支援課の相談員が、福祉の利用をすすめてくれた。川崎で、弁当屋や食堂の皿洗いをしながら、どうにか食いつないで行くことができた。
娘は、病弱だった。川崎にいたことから、浪江は自分の才能を自覚するようになった。スポーツ新聞の競馬欄を読んでいると、一着に入る馬の名前が目に飛び込んでくるようになったからである。
新聞には、常に優勝する名前が、暗号のように書き記されていた。普通の人には、その暗号の意味は理解できないが、ひらがなと、多少の漢字しかよめない自分には、文字が読めないかわりに、ゴールする順番は読めた。
そして、彼女は、稼いだ金のほとんどを馬券につぎ込むことになった。中学になった娘は、彼女を毛嫌いするように育った。
高校を卒業すると、家を出、すぐに結婚して家に寄りつかなくなってしまった。
ヘルパーの仕事についたが、犬に吠えられて、自転車が転倒し、頭を打ったころから、身体が動かないことに気づいた。
脳波をとってもらったものの、異常は見当たらず、身体が動かないように感じるのは、精神的なことが原因であると大学病院の女医は教えてくれた。このころから、隣人が自分の部屋を覗き見しているような被害妄想がひどくなった。
以下は、また明日につづく。
コメント4件
広野
士郎さんは小説家のようですね。的確で読みやすい文章で明日が待ち遠しいです。

僕が、浪江の担当になったのは、ある事件がきっかけだった。
沖縄に住む妹がくれた赤い、ブラジャーを隣人に盗まれてしまった。それは、とても浪江が気に入っていたものだったので、夜中の2時に隣人の部屋に抗議にどなりこんだ。
仕事を終えて帰宅していたフィリピンパブに勤める女は、浪江の形相に驚き、警察に通報した。やってきた警官は、すいませんと頭を下げ、ひたすら謝る老婆の姿を見て、警告をするだけで、引き上げて行った。
家賃の滞納がつづき、管理をしている社会協議会の理事長をしている不動産屋が、契約の変更の書類を手に市役所に相談に行った。
犬に吠えられて、転倒し、その後遺症で腕が挙がらなくなってから、生活保護をもらいながら、浪江はなんとか暮らしていた。
訪問してみると、キッチンには鍋や食器が積み重なって置いてある。6畳の部屋は、競馬新聞が引き詰められて、床を覆っていた。
泣きながら、下着を盗まれたこと、警察を呼ばれたこと。自分は少しも悪くないことを、浪江は僕に訴えた。
また、隣人は、ゴキブリを部屋に送り込んでくるようだ。隣のテレビの音が侵入してきて、うるさくて眠れないことなど。ずいぶんと気持ちが高ぶっているようだった。
話をする姿を見て、すぐに精神病を僕は疑った。あるいは、認知症による被害妄想なのかもしれない。
通院に同行し、介護保険の手続きをとり、ヘルパーのサービスを入れる手配をすぐにした。
つづく。