芸術は爆発だ

NHK 迷宮美術館 岡本太郎 壁画制作の秘密
中村ゆうじ*1さんが、面白おかしく太郎さんを演じていました。はだかになって爆発して、これではまるで
裸の大将じゃないですか。こんなに岡本太郎は滑稽なキャラでしたっけね。

芸術は爆発だ」は、深い言葉だなぁ。

一見、原子爆弾、賛美にもとれるようなこの言葉に呪術的な魔法がかけられている。

老年になって太郎は、盛んにテレビ番組に出て、変わり者の芸術家のキャラを自分で楽しそうに演じるように
なりました。

芸術は爆発だ!」から「なんだ、これは!?」「グラスの底に顔があったっていいじゃないか」

彼は、その70年代から80年代に、もっとも大衆的なメディアである、テレビの価値をよく理解していたのではないかと思います。

また彼は、時代の寵児(人気者としてもてはやされる)になるのを好んだのかもしれません。

若き日の太郎の回りには、フジタをはじめ奇行を繰り返す芸術家が沢山いたからです。

俗世間に高踏的な芸術の爆弾をしかける

エコール・ド・パリの芸術家はみな、スキャンダラスなボヘミアンだったからです。

メキシコでは壁画が、文字のわからないインディオたちを啓蒙する、一番のメディアであったように
日本では、いまだもって芸術のわからない*2大衆を啓蒙する一番のメディアはテレビでした。

映画が衰退したように、ネットが興隆することにより、TVもまた飽きられていきます。

テレビはイメージをコピーし反復する、一方通行メディアです。茶の間という日常のなかで、繰り返し反復されイメージは、またたくまに消費されていきます。

これは、芸術の既成概念を破壊して、新たな目で世界を見るような衝撃を与えることは、まったく別なことでした。

イメージの代わりに滑稽なしぐさと眼差しで、単純なメッセージを送ることで、太郎は私たちを魔法にかけたのです。

低俗なテレビ番組を通じて、太郎は、奇妙なシャーマン的な存在(祭司)としてふるまうことで、自分の芸術を完成させていった
のではないかと思います。


*1:ザ・テレビ演芸の5人抜き、パントマイムは忘れることができません

*2:色々な人が私は芸術はよくわからないが、写真はよくわからないが、 と前置きをしながら、現代芸術を批評します。こういった、口ぶりの背後には、浮世離れした芸術家に対する羨望と嘲笑があらわれているようにも見えます