クラッシュして、抱きしめて

以前から見たいと思ったクラッシュをやっと見ました。青山ブックセンターのトークショウ
でも、アメリカ映画の中で人種差別に誰が描かれるかが話題になってましたね。

ハリウッド映画で描きやすいもの理解されやすいテーマというのが確かにあります。

映画の中で、政治家・アジア系移民*1・犯罪を犯す(スパイク・リー的世界の)黒人青年たちはあまり細かな内面が書き込まれておらず、白人社会でポジションを得ているが差別を甘受せざるを得ない黒人プロデューサー夫婦や貧乏な白人で差別主義者の警官や政治家の妻(=女性)は詳細に内面が描かれているという区別にハリウッド映画が描きにくいものが現れている

Kawakita on the Webのブログは当日の座談の内容をよくまとめています。

これからつづく記事には
ネタバレはないですから、安心して最後まで読んで下さい。

もともとアメリカ映画は社会問題を多く取り上げているのですがこれもその一つ。

監督のポール・ハギスはこの映画について次のように語っています。

この作品の描き方がはっきりしたのは9・11
以降のことだった。なぜならこの映画のテーマは人種
や階級についてではなく
見知らぬ人間への恐怖についてであるからだ。

これは不寛容さと思いやりの映画であり、人が選択したことと、そのことによっ
て支払うべき代償について描いた映画だ。

人間はみな判断されるのは嫌だが、他人を判断することに
は何の矛盾も感じない。

そして自分が半断を下した
人間に、良くも悪くもどれほど驚かされるのかというこ
とを描いた映画だ。
クラッシュ パンフレットから 引用

異文化コミュニケーションのネタ

大学の 異文化コミュニケーションの授業などでは、偏見はどのようにして生じ、どうやると消えていくのかと
いう討論をよく行ないますね。

そのときに使える映画ですね。

学生は『クラッシュ』でこんな場面がありましたが……
先生は、クラッシュでいろいろなタイプの黒人像が描かれてますみたいにネタに

して人種差別や偏見について話し合いのきっかけができます。

黒人というステレオタイプが、偏見を産む。実際に黒人と個人レベルでお付き合いしてみると

相手に抱いていたラベルが変わり、同じ人間として親しみを感じるようになる。

判断するのではなくて、理解することは大切ですね。

「見知らぬ人間への恐怖とどうとりくむか」とは極めて、今日的な課題です。

こちらは、恐怖(情動・感情)を扱うので心理学のアプローチが有効ですね。

いかに自分の中にある恐れと取り組むか。恐れが増幅されると、いつも相手から
襲われるのではないかという関係妄想になることもあります。

繰り返される抱擁

さて、映画学的な見方をすれば、テーマを見るわけではなく、その細部から読み取れるもの
を研究することになります。

この映画に繰り返しえがかれた、抱擁(抱きしめる)場面について
こんなことを考えてみました。

その前にこの映画の展開は
ほぼ、映画を見ていると先が読めるわかりやすいものです。

悪人が良い人だったり、いい人が修羅場で冷たい人間になったり、息もつかないような展開です。

レイシストやセクシスト人が、自分の家族には、実にこまやかな愛情をもっていたり

このあたりのことは、パンフレットや他のブログにまかせましょう。

いろいろなメディアに書かれたように図体の大きな中年のマット・ディロンが、白人の人種差別主義者の男を好意的に表現してますね。

それに反して、女性の描き方は貧弱です。セクハラをうけるディレクターの妻役は、悲惨なほど哀れな役ですね。

サンドラブロックの検事の妻は、比較的よく描かれている。

女性はどこかヒステリックで、事故をおこしたり(韓国女性の接触事故、ディレクターの妻の横転事故、サンドラ・ブロックの階段オチ)

被害者になったりするんですね。やはり男性監督の見方が反映されているように思います。

街を歩いていても男性より女性の方がより多く恐怖を感じるということは事実でしょう。

しかしこんな見方もできます。

すぐ感情的になる女は見ていられなくて、保護をする役として強い男が登場するとでも言いたげです。

いざというときに頼れる男が、女から愛される男という、なんともいえない保守的な

ステレオタイプがあります。(だからアカデミーをとったとも言える)

また父親と娘、母親と息子、夫婦の葛藤を描くところは、家族の映画でもあるわけです。

マット・ディロンが、サンディー・ニュートンを救出する場面では、感情に強く訴えかける

カット・バックはみごとです。(右上写真)

そして、きわめつけは、ヒスパニック系の鍵屋が娘を抱きしめる場面。これは、父が娘を抱きしめる絵になっている。

Crash

Crash

(CDの写真参照)

父親の顔がドアップになります。監督が見せたいシーンですね。ジーンときましたね。

また、スペイン系のメイドにサンドラ・ブロックは抱きしめられる。ここは(母と子)の抱擁。

あるいは、メイドしか抱きしめてくれる相手がいないことで、夫が仕事に夢中になり、家庭に無関心なことを
それとなく暗示する場面でもあります。

そして最後には、母親から拒まれる男が登場します。それは映画を実際に見てください。

男は抱きしめられたい!

さて、ここまで書いてみて、

「ほんとに抱きしめてもらいたいのは、実は男の方」じゃないかということに気づきました。

あるいは抱きしめていることで、抱きしめられる。このことによって人は知り合う。

衝突の中で、傷つき疲れているアメリカ人のイメージがよく描かれた傑作ではありますね。

ただし女性をターゲットとした、やおい的な純愛映画、男が男を抱きしめる『ブロークバック・マウンテン

には、勝てない内容の映画でした。

オフィシャルsiteは下にあります。

http://www.crash-movie.jp/

まだ見ていない方はお早めに。ゴールデンウィーク中も公開してます。