パプリカ//わかりやすい狂気

アニメ、パプリカに登場する夢は、非常につじつまがあってわかりやすい。夢と筒井康隆という組み合わせにひかれて
初日に映画館に駆けつけました。仕事の都合で舞台挨拶が見れなかったのが残念ですが

今回は東京映画祭に続いて二度目の鑑賞だったのですが、改めて原作のエッセンスが今監督独自の世界観の中に取り込まれ、ケレン味たっぷりの映像と琴線触れまくりの音楽によって見事に昇華された傑作だと感じました。筒井ファンへのサービスもたっぷり。後戻りして観たい場面がたびたびあり、これは劇場へ何度も足を運ばせるための戦略ではないかと確信しています。

はてなで、舞台挨拶をレポートしている日記があります。
日記を見ると自分も参加したような臨場感がありますね。

夢にしばしば現れる、とらえどころのない恐怖をアニメの絵で表現するのはむずかしいですね。

80年代の狂騒を思い出させるテクノ

音楽の平沢進、テクノでこういった賑やかなのが、好きな人にはお勧めです。


話が複雑という読売新聞の評は、夢の話であるから複雑に違いないという評者の思い込みがあるからで、話の設定と、登場人物の関係さえ分かれば、現実と夢が交差する内容もわかりやすい。

同じヴァーチャルな世界を描いたマトリックスの方が、数倍分かりにくくて、謎だらけ。

登場人物の刑事(映画では粉川・小説では能勢)がトラウマ*1で、同じ恐ろしい夢を繰り返し見るというのは、そのことに固執しているからだとも考えられます。

装置を使って、夢の中に侵入して、ダイレクトに悪夢を治療するということの発想の誤りがそこにあります。外科手術のように、患部を撃退することでは、トラウマを消すことはできないのです。

悪夢の治療は、トラウマとなった出来事を忘れるのではなく、事実として受け入れるだけのこころの健康さ、強さを取り戻すことにあると私は考えています。


記憶ごと消去してしまえばいいと反論する人もいそうですが、そんなに簡単なことではないでしょう。

お話はお話として割り切ってみれば、

装置による夢治療は、すごく楽しそうに思います。


映画でも、モニターした夢の、画面を見ながらセラピストが患者(クライエント)に夢の分析を行なう場面が一度だけ登場します。

現在ではそういった夢の装置こそありませんが、セラピストが、患者の話を聞いて、トラウマを解消していくことは、現在もカウンセリングによって実現されています。

嫌な出来事を語り、ドラマにして再現してみたりして、その出来事の意味づけを変えたり、あるいは絵や音楽に昇華することで、心理療法による治療が行なわれているのです。

お話として、この映画を見てみれば、よくできていて、感心する場面も多いですね。たとえば、夢から覚めたと思ったら、まだ夢の中だったというのは悪夢にありがちなパターンですね。

また脈絡もなく、場面が変わってしまうのも夢ではよくあることです。

ただ、トラウマの原因探しは、推理小説の犯人さがしのような楽しみがあります。

25日から、テアトル新宿・テアトルダイア(池袋)で公開中。

このブログ、ネタバレをしないことを原則としているので、映画のストーリーについてはあまりタッチしないことにします。

夢はコントロール*2することができないから、恐ろしいのではないでしょうか。

みたい夢を見る方法

人為的に夢を見る方法というのが、いろいろと考えられているのですが、あまり上手くは行かないみたいです。

古くは、枕の下に"富士山や鷹やナスビ"などの縁起のよいものを書いた絵を入れておくというものから

アロマや音楽をつかったり、瞑想をするなどというのもあります。

反対に、抗不安薬(睡眠剤)を飲んで寝たときに、ひどい悪夢を見るときもあります。

このパプリカのコピーにあるように、"夢が犯される"*3という物語から、いろいろなイメージをふくらませることができますね。
公式ホームページは下記のサイトです。
予告編は面白い。
http://www.sonypictures.jp/movies/paprika/

*1:トラウマの理論は、フロイトではなくピエール・ジャネに始まる

*2:チベット仏教では、夢を操る修行をする。アメリカの精神医学者、ラバージは訓練によって夢をコントロールすることができるという研究をしている

*3:人工的に誰かの夢の中に忍び込んで、夢を書き換えることができるとしたらそれは、恐ろしい犯罪を行なうことができる。似たような例として、催眠をかけて犯罪を犯させるという空想や小説がある。しかし、現実には犯罪をおこすような強い催眠をかけることはできない。