高認

卒業式を迎え、ほぼ3年生の支援は終了した。転職した同僚のつなぎで、都心のとある学校に派遣された。
 30年前に、勤務していた高校と雰囲気がそっくりで、しばしば以前の職場と錯覚した。
 生徒は同じで、働いている職員の顔ぶれが違う。そこには、かつての同僚は一人も存在しない。よくよく話しをしてみると、どこかで出会ったことのある人たちばかりである。

 高校卒業資格認定試験で合格した生徒の大学受験のアドバイスというのを依頼されたので、久しぶりに入試の国語と英語を解いてみた。MARCHレベルの入試だったら、この二つの科目はいつでも合格点がだせる。

 それは、30年間、教室で、国語を教えていたことと関係している。もし、教師にならず、出版社に勤めて編集者になったら、入試の問題をとけるスキルは身につかなかった。進学校でやっていた仕事は、センター試験の模擬問題をつくることだったので、受験問題を解く、スキルを身につけた。
 これは、社会福祉士の試験にも役にたった。受験はテクニック。選択問題は、回答が問題文に書いてあるので、それを発見すればいいだけ。
 回答のスピードと、指定されている問題を読み違えなければ、合格はできない方が可笑しい。
 ところが、早稲田、慶応レベルの問題や、教科数の多い、国立大学となると、やはり話しは別になる。勉強をしないと、合格できない。最初の方は、問題がひねってある。後の学校は知らない語彙が頻出する。国立は、大量の知識を覚え込まなければならない。
 いずれにせよ、40年前に予備校でならった方法と、授業でそれを反復して教えることで、身についたものは消せない。頭もぼけない。
 しかし、40年前と、教える内容が同じなことは、大問題。
国語、英語に関して、僕が記憶して使える知識は、受験にだけ役立つ知識。
生活のためには、税金のこととか、保険のこと、不動産の知識、家計の計画など、知識として、知っているだけではなく、実行しないとならない。

 正規職員として雇われていたころには、その分野は、疎い知識というか、ほぼ何も知らない。給料をもらって、昇給を待ち、ボーナスを楽しみに、次の休みはどこの国に行こうかぐらいしか、考えずにすんだ。
 いい生活、いい社会だった。どこで、歯車が狂いだしたか、というかもっと深いところで社会の変動が起こっていたか、学校の中からは見えなかった。

80年代までの学校は、教員にとっては居心地の良い職場だった。
80年代は、3部制の高校で働いていた。そのころは、今の社会で起こるような問題がすでに、先駆的にすべて顕れていた。
 すでに、生徒は減少していた。無業(若年者の失業)。虐待や依存症、心的外傷、不登校、ひきこもり。セクハラ、パワハラ、いじめ、LGBT,社会的排除、アジアの難民(インドシナベトナム人カンボジア人、イラン人)、外国人労働者の問題。
 社会が変わってしまった以上、学校も変わらざるを得ないだろう。
 2019に平成が終わり、2020年にオリンピックがある。オリンピック自体は、あまり経済に影響を与えるものではなさそうだ。オリンピックで日本の社会が変化するようなことはない。見せかけだけである。