ウェブは進化したか

教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書

今日から数日にわたって、ウェブ進化論を読んだ私観を掲載します。

読んで役立った方ははてなブックマークに加えてくださいね。

そうしたら、私にもブックマークの有効性がこちら側の出来事として、理解できるように思います。
ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)


この記事はいわばチャレンジです。

ウェブ進化論」について考えるときに、どのhatenaのブログが参考になるのか、言及しているブログが多すぎて、はっきりしないのです。

他の会社のブログでも同じように思います。

この記事も内容が読まれるのではなく、何百あるものの一つ、単なるデータの一つになって、統計の資料とされてしまうことに危惧を抱いてます。

ネットの「こちら側」とは、インターネットの利用者、つまり私たち一人一人に密着し
たフィジカルな世界である。(携帯電語、カーナビ、コンビニのPOS端末、高機能ATM等) … 中略 
ネットの「あちら側」とは、インターネット空間に浮かぶ巨大な情報発電所とも言うべきバーチャルな世界である。
いったんその巨大設備たる情報発電所に付加価値創造
システムを作りこめば、ネツトを介して、均質なサービスをグローバルに提供できる。
 『ウェブ進化論』−P57 より引用


私は、梅田さんの言うPC世代に属しています。
1995年ニフティサーブから、WWW(ワールドワイドウェブ)に初めて接続したとき、パソコンの画面に表れたのは、文字だけのパソコン通信とは違った、華やかなデザインの英語のsite、日本の企業のもの。それと数多くの一般人がつくった沢山のホームページでした。まだ、企業と個人の格差もそれほど感じられないレベルでした。

手作りのホームページには、素朴なものからデザインのすぐれたものまで、多種多様なものがそれこそ玉石混交に存在していました。

また Eメールによる、距離や国境を超えたやりとりなどいろいろな機能は目を見張るばかりでした。

それから、フラッシュや掲示板などが新しい技術として、どんどんと付加されていきました。

インターネットはヴァーチャルなコミュニティを形成するための格好のツールで、

ネットを介して、だれにでも手軽に情報にアクセスできるようになり、個人と個人が階層なくつながり、インターネット革命により民主主義社会が急速に実現するような気がしたものでした。

しかし、デモクラシーが浸透するどころか、徐々にネット上にナショナリスティクな言説が増加していき

ついにはリベラルな主張をする市民派サイトの掲示板が攻撃され、右左とは関係なく突出したsiteが批判の対象になるようになりました。ブログの時代になっても、コメント欄が炎上して、閉鎖に追い込まれる事態は後を立ちません。

インターネット上では、異なった意見の交流が行われるどころか、同じような嗜好や主張を持った人による仲間同士のsiteが増殖し、その多くは泡のように消えていきます。

ブログにより、ホームページは一般化し、沢山の人々が気軽にインターネットに参加するようになりました。
その数も爆発的に拡大し、内容も千差万別で、もうどれが有用な情報をとどけているのか、すぐには分からない状態になっています。(よくいえばロングテールですね)

最初は手作りの服だった個人ホームページは、ブログの登場にようってテンプレートの既製服になり、企業のホームページは、コンテンツが中心のいわば、高価なオーダーメイドの服のようになっています。

今や、インターネットはブログとmixiなどのSNSの時代になりました。10年間の変化はあっというまです。

この辺の話題ではやはり

等の本が参考になると思います。

始めはホームページが中心で、次に掲示板などの付加機能が登場し、そして様々な複合的な機能を持ったブログとSNSが流行の先端にあります。

これは、ウェブが進化してきたというより、ただその装いが変化しただけのように思います。

□あちら側の世界で、情報が処理され、共同の開発によるシステムがつくられるのは、itの技術の世界では言えることかもしれないが、

私のような映画や絵画あるいは、心理療法代替医療をテーマとした情報というのは、多数の人間の共同作業によって発展するようなものとも思えないという実体もあります。

データが蓄積されたり、共同作業による分類(フォークソミイ)で能率が上がるのは、

梅田さんかおっしゃるようにすばらしい可能性を秘めているとは思いますが、

逆に言えば、データが膨大に膨れ上がり、ここのデータの内容を選別して、処理しにくくなるというデメリットも生じてしまうのです。

パソコンをうまく使えばデータ解析はできます。

また、そういったシステムでは処理できない、一回性をともなった、当人だけに意味をもった決定的な体験というものに、むしろ私は魅力を感じています。

それと、あちら側のデータの世界にアクセスして、そこにあるシステムを構築するより、

データを独創的な発想で扱うことのできる専門的知識をもった数名の人間が、直接やりとりして技術や理論を深める方がよほど早い変化が期待できるようにも思います。

□ さて著作権に関しては使用やコピーの問題で煩雑な手続きが今では必要になっています。

インターネットが登場した創世記は、著作権や肖像権に関しては、法的なルールが確定されておらず、

いわば野放し状態でしたから、雑多な中に掘り出し物が、沢山ありました。

様々な著書から様々な文章がそのまま転写され、人物の顔写真や街角の人々の姿が、ホームページに野放図に張られていました。

いまはむしろ、表面的には賑やかですが、どれも画一的に見えます。

ここまででも、いろいろな問題を思い出すままに、

書き記してみました、かなりまとまりがないので、読みにくいことはご容赦ください。

本題にもどって、今日の結論をいえば

ウェブ進化論で述べられていることの核心にあるのは、画期的なアイデアを工業化(システムとしての構築)して商品化すれば、それによって新しいビジネスが成立するということではないでしょうか。

ITビジネスを展開していく上で、新しい商品やサーヴィスを提供していないと、ユーザーを確保できない経営上の問題がインターネットの世界にはつきものなのだとおもいます。

また、日本はハードは強いが、ソフトの開発は弱いと従来から言われてきました。ソフトの分野で日本が、成果を上げているのはみなさん

がよく知っているようにゲームの分野ですね。

ソフトから、システム設計へ

あたらしい技術によるウェブの商品化を「あちら側の世界でコラボレーション」という言い方で焼き直しただけなのではないでしょうか。

やはり、

いままでウェブが進化していなかっただけのことかも しれません

結局 この本のサブタイトルに記されているように

「本当の進化はこれからはじまる」のです。

このテーマによる項目は、しばらく続きます。