魂を吸い取られる

世界中で、毎日一兆枚の写真が撮られているという。180年前にはじめて「写真」なるものを見た人々は、そこに自分以外の「眼」の存在を発見して驚き、写っている顔に象徴的な死を感じとって恐れもしただろう。

写真に「魂を吸い取られる」というキーワードを発見した。

むしろ、写真を見た人の驚きは、自分が他の人からは、こんなふうに見えている
ということを発見する驚きです。

写真が登場するまで、人々には自分がどう見えているかを知るには、ポートレートを
描いてもらうぐらいしか方法はありませんでした。

といっても、絵で表現されたものと、実際の人物にはずいぶん隔たりがありますね。

また、実際には人間の顔や姿は刻々と移りかわっていきます。

つまり、有から無(死)に向かって、成長し、老いていくわけです。時間がとまって
変わらなくなったものたちは、死んだものたちだけです。

つまり、写真に写された姿を通して、変わらない自分の姿(遺影)を見る体験に直面した
ということです。

今日の私は、もう昨日の私とは違っている。

昨日と同じ、一日はもう二度と訪れることはない。

毎日、一兆枚の写真がとられているというのは、自分の見た光景を記録しておきたいという人々の気持ちがあらわれたもので

どこかで、死を思い起こす(メメント・モリ)という行為と結びついている気がします。